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最新情報 : 文学部教員コラム vol.54 ミルトンの影IX …… 英語英米文学科 島村宣男 先生
投稿日時: 2010-9-9 9:00:00
ミルトンはローマから再びフィレンツェに戻ります。イタリアの夏の暑さにいささか辟易していたうえ、老境に入った私にそのような余力はもとよりありません。

ミルトンがイタリアの旅に出たのは1638年、満29歳のときです。既述のように、ジェノヴァから念願のイタリア入りを果たし、フィレンツェ、シエナ、ローマ、ナポリと半島を南下し、ローマに戻り、再びフィレンツェに入って天文学者ガリレオと面談の機会を得て、最後にヴェネツィアに赴きます。イギリス国内の情勢悪化の報にギリシアへの渡航を断念し、ジュネーヴ経由で帰国するのは1639年盛夏のころと推定されています。

システィーナ礼拝堂でのミケランジェロ体験は叶いませんでしたが、叙事詩制作の将来構想に新たな種子をミルトンに植えつけたとすれば、それはナポリでのジョヴァンニ・バプチスタ・マンソ (Giovanni Baptista Manso) という人物との邂逅だったでしょう。この人物は、16世紀イタリアの叙事詩人トルクァート・タッソ(Torquato Tasso, 1544-95)の庇護者です。叙事詩『解放されたエルサレム』(La Gerusalemme liberate, 1575)で名高いこの漂泊の詩人は、ミルトンが最も敬愛したエドムンド・スペンサー (Edmund Spenser, 1552?-99) と生没年代がほぼ重なっています。スペンサーは「詩人の王」(the prince of poets)、そして「詩人の詩人」(the poet’s poet) という尊称をもつ、イギリス文藝史上最大の叙事詩『妖精の女王』(The Faerie Queene, 初版1590, 第二版1596) を世に残した詩人です。


ところで、叙事詩を書くという営みは、詩人にとってどんな意味をもつものでしょうか。何よりも、「当代一の詩人」を自認する矜持なしには、スケール豊かな叙事詩は書くことはまず不可能です。古代ローマは『アエネーイス』(Aeneis)のウェリギリウス (Publius Vergilius Maro, BC.70-19) はもとより、中世イタリアは『神曲』(La Divina Commedia) のダンテ (Dante Alighieri、1265-1321) も、並外れて自負の念の強い詩人でした。イギリスの近代初期を代表するスペンサーもミルトンもそのような叙事詩の伝統を見事なまでに継承しているのです。


(英語英米文学科 島村宣男)
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