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最新情報 : 文学部教員コラム vol.112 「ワーズワス=スパイ説」のてんまつ …… 英語英米文学科 安藤 潔 先生
投稿日時: 2012-5-11 8:00:00
 ウィリアム・ワーズワスといえば名前を聞いたことはあるという方が多いかと思います。イギリス・ロマン派の詩人で特に自然をうたった詩が多く、また英国湖水地方との連想もあるかと思います。年配の方ですと、次の「ラッパスイセン」の詩を高校の英語の教科書で読んだ経験もおありかと思います。

       I wandered lonely as a cloud
       That floats on high o'er vales and hills,
       When all at once I saw a crowd,
       A host of golden daffodils;
       Beside the lake, beneath the trees,
       Fluttering and dancing in the breeze. (以下略)










 “Daffodils” の詩のインスピ
 レーションとなったアルズ
 ウォーター湖:
 季節が異なり花はない。
 (2009年9月安藤撮影)


 このワーズワスはフランス革命の時代に青年期をおくり、革命下のパリやブロワ・オルレアン等にも1年余り滞在します。しかし恐怖政治やナポレオンの台頭などで革命には失望していき、祖国英国への思いを強くしますが、「自由・平等・博愛」の精神は晩年まで信奉し、その気持ちは彼の作品に反映があると読み取ることができます。
 200年ほど前のこの詩人の研究は英米では常に盛んで、伝記的にはほとんど全てが調べ尽されています。しかし研究を続けていると面白い現象に出くわします。その一つが10年ほど前に交わされた「ワーズワス=スパイ説」とその否定です。事の発端は、1990年代に入り、18世紀末の英国の内務大臣ポートランド公の諜報関係の秘密帳簿にワーズワスへの支払い記録が発見されたことにあります。日付は1799年6月、ワーズワスが20代の終わりに不可思議なドイツ訪問をした直後になります。
 ワーズワスは妹のドロシー、親しくしていたもう一人の詩人コールリッジとともに1798年の9月中旬にハンブルクに入り、間もなく友人とは別れ、兄妹はゴスラーという町に滞在します。厳しい冬になり、身動きもままならず、ドイツ人との交流もあまりできないまま、彼は重要な詩を数編書きます。この時期のことは、手紙や妹の日誌などが残っており、かなり細かいことまでわかっています。しかしこの後、ワーズワス兄妹は1799年の2月下旬にゴスラーを出発し、厳寒の南ドイツをさまよったようですが、2月末から4月下旬にコールリッジと再会するまでの2ヵ月ほどの記録が残っていません。
 この時期ドイツでは、戦争をしていたフランスと英国の諜報活動が盛んで、様々なスパイや工作員が暗躍していたことが知られています。そこに上記の秘密帳簿が出てきたために、ワーズワスがスパイ活動をしていたのではないかという仮説を論じたのは、アメリカの英文学者ケネス・ジョンストンで、『隠されたワーズワス』という伝記的研究書を1998年に出版し、当時の情勢を克明に調べ、「ワーズワス=スパイ説」を積み上げました。ワーズワスとコールリッジは1797年頃から非常に親しくし、友情の結実とも言うべき『リリカル・バラッズ』をこのドイツ旅行の時期に出版し、後にイギリス・ロマン主義の始まりと目されることになります。それに対してジョンストンは「ワーズワス=スパイ説」で、ワーズワスが1797年の頃から友人を装いコールリッジらの監視をしていて、彼ら急進派と見なされていた若者たちの動向を当局に通報していたのではないかとまで仮説を発展させました。
 ジョンストンが『隠されたワーズワス』を出して様々な書評が出て、約二年後の2000年に『タイムズ文芸付録』に小さな記事が載りました。体裁は少し遅れての『隠されたワーズワス』の書評です。著者はマイケル・デュアリーというオーストラリアの歴史学者です。この中での決定的な指摘は、ポートランド公の秘密帳簿の「ワーズワス」の記載が詩人「ウィリアム」のことではなく、彼の遠縁の税関吏「ロビンソン・ワーズワス」だったということでした。デュアリーはロンドンとパリの公文書館で関連の書類を探し回り、1799年3月付けロビンソン・ワーズワス名義による全く同額の諜報活動費請求書を発見したというのです。ジョンストンの「ワーズワス=スパイ説」の最大の根拠は崩れました。一片のヴァウチャーで詩人ワーズワスがスパイだったという仮説は完全否定されたのです。彼とコールリッジの友情は純粋なもので、ジョンストン以前の人間味に溢れた交友の伝記は回復されました。
 以上の詳細は間もなく発行の本学文学部紀要の私の論文に記載予定です。
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