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投稿日時: 2015-5-22 15:38:00
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海外お金の払い方事情 … 現代社会学科  湯浅陽一先生

投稿日時: 2015-5-22 15:16:00
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星野富弘さんの詩の世界 … 比較文化学科  安井 聖

投稿日時: 2015-4-17 8:00:00
――ハイランド北中部から南部へ:インヴァネス〜アヴィモア〜ブレア・アソール〜ダンケルド〜パース 〜フォース・ブリッジ

 ネス川の河口を意味するインヴァネスは北スコットランド最大の町で、ハイランドの首都とも見なされます。その位置はネス湖から流れ出た川が大河となりマレー湾から北海に流れ出る所にあり、グレイト・グレンの終わる町でもありますが、同時に、さらに北に広がる北ハイランド地方の起点にもなります。人口は7万人弱ですが、西ヨーロッパで最も急速に成長しつつある町の一つで、間もなく10万を超えるだろうと見なされています。インヴァネスの中央を流れるネス川の東岸にはインヴァネス城がありますが、これは11世紀以来の砦の場所に1836年に建てられ、現在は州裁判所(Sheriff court)として使われていて、建物内部は非公開です。この川沿いには歴史的教会が数多くありますが、町を東郊外に出るとカロデンの古戦場や、シェイクスピア劇でその名が親しいコーダ城などがあります。

 カロデンの戦いは、いわばスコットランドの関ヶ原のようなもので、名誉革命で追放されたジェームズ二世から3代にわたるスチュアート王家、ジャコバイツの王位復帰の試みが灰塵に帰する戦役です。現代でも荒涼たるカロデン・ムアは静かに広がり、ブリテン島最後の内戦があった場所とはイメージが湧きませんが、スコットランドのナショナル・トラストが管理する付属施設も雰囲気を壊さないような作りがしてあります。

さらに東にあるコーダ城は『マクベス』に出てくる城の名と同じですが、現存の城はクラン・キャンベルの伯爵城で、ほぼ現状まで整備されたのは王政復古以降のことのようです。シェイクスピアの『マクベス』はフィクションの部分が多いのですが、史実のマクベスは11世紀前半にダンカン王を殺戮後に王位に就きます。しかし彼がコーダの領主になったことはなく、この城自体が当時は存在しませんでした。シェイクスピア以降劇とのつながりが連想されるようになり、20世紀のジョン・キャンベル、第5代コーダ伯は、あの詩人があの忌々しい劇を書かなかったらよかったのにと嘆いたそうです。

 インヴァネスを南に降ると、ケアンゴームズという国立公園があり、グレンコーと並ぶハイランドの山岳地帯に入ります。その中心地がアヴィモアで、近隣の山々の登山やトレッキングの中心地です。この地区の最高峰ケアンゴーム山も1245メートルの高さだそうで1344メートルのベン・ネヴィスとともにさほど高くはありませんが、北国のことで荒涼たる岩山は日本アルプス以上の険しさを感じさせます。この地区の谷間をA9道路沿いにさらに南下すると、ワーズワス兄妹がハイランドの旅の後半至った東端の地区、ブレア・アソールやダンケルドの町があります。

 ブレア・アソールはクラン・マレイの古来の本拠地で、現代に至るアソール公の城があります。1803年の旅でワーズワス兄妹はこの城を訪問しますが、当時から現代に至り外壁の白塗りが特徴のこの城の風景を彼らは批判しました。兄妹はキルカーン城のような鄙びた景色の方を好んだようです。彼らはダンケルドまで至り、修道院の廃墟をやはり愛でますが、付近のバーナムには『マクベス』で示唆される森が当時すでにないと記録しています。この辺りは19世紀末になるとさらに観光地化し、ピーター・ラビットの作者ベアトリクス・ポターも幼いころ、湖水地方に親しむ前、夏の観光で毎年訪れたそうです。この後ワーズワス兄妹は行先に迷いますが、結局インヴァネス方面でもパース方面でもなく、すでに出会ったトロサックスの人々のホスピタリティーが忘れられず、カトリン湖方面に戻ります。この結果 ‘To a Highland Girl’ などの詩にも描かれる、スコットランドの人々との出会いをさらに経験しますが、その後はキャランダーからスターリングを経てエディンバラに向かいます。こうしてワーズワス兄妹は1803年のスコットランド旅行の最後にスコットとの出会いを果たすのです。



















インヴァネス城から見たネス川の川下とインヴァネスの町。



















カロデン・ムアの古戦場跡:旗が両軍対峙位置を示している。



















名前だけは『マクベス』を連想させるコーダ城



















ケアンゴームズのアヴィモアは登山、トレッキングの拠点。それぞれの道標がおびただしい。



















ワーズワス兄妹がその白塗りの外壁を批判したブレア城だが、フランスのシャトーのイメージか?



















ダンケルド修道院遺跡、半分は現役の教会。



















バーナムの森は町の背景か?



















パースのスクーン宮殿:シェイクスピアの『マクベス』でも即位の地であったが、エディンバラに首都が移るまではこの地がスコットランド国王の代々の戴冠の場所であった。



















フォース鉄道橋:フォース湾に鋼鉄の鉄橋が1890年に架けられ汽車が通るようになり、パースとエディンバラは近くなった。19世紀スコットランド産業革命のシンボルは今も現役の鉄道橋。

以上の写真全て安藤撮影、2014年8月



投稿日時: 2015-4-10 8:00:00
――ハイランド北中部を巡る:フォート・ウィリアム〜ネス湖

 ワーズワス兄妹はグレンコーから東に進み、テイ湖とその先テイ川河畔のダンケルドとガリー川河畔のブレア・アソールに至ります。私はコールリッジの辿った道を追ってグレンコーからいわゆるグレイト・グレンという地溝帯をフォート・ウィリアムに、さらにネス湖からインヴァネスに至りました。ワーズワス兄妹が辿った方のルートには現在も彼らが泊った宿が残っています。当時はカロデンの戦いから50年余り、宿はまだイングランド軍の兵舎だった名残が強く、ドロシーがそのひどさを批判していますが、その文章を現在の経営者がウェブサイトに引用し、20世紀初頭には大幅に改善していたという、泊った文人の記録を引用し、現代ではきちんとしたホテルでオーナー、スタッフとも泊り客を歓待すると明記しています。このように英国では200年余り前に有名人が泊った宿が現役で残っていることがしばしばあり、その宿泊歴をウェブサイトで誇っているのを見つけられます。残念ながら私にはワーズワスが利用したホテルに泊まる機会はありませんでしたが、16世紀以来営業している所に比較的安い価格で泊ったことはありました。さすがに床が少し傾いていたり、軋んだりはしますが冷暖房やバスルームの施設はしっかりしていて、Wi-Fiもたいてい用意されています。

 フォート・ウィリアムは北スコットランドでインヴァネスに次ぐ規模の町ですが、人口は1万人弱、現代ではもっぱら付近のブリテン島最高峰、ベン・ネヴィスなどの登山の拠点になっています。この町は17世紀の清教徒革命時代に発展したようですが、地名の由来はその後の名誉革命で即位したオレンジ公ウィリアムの砦ということのようです。後には追放されたジェームズ二世派の反乱鎮圧の拠点ともなりました。真夏でも最高気温はなかなか20度に達せず、夜は10度を割ることもあり、私の滞在時にも暖房が入っていました。この町から西の方に行くと、グレンフィナンという地区があり、ジェームズ二世の孫チャールズ・スチュアート、いわゆるボニー・プリンス・チャーリーがジャコバイトの反乱を1745年に開始した記念碑があります。彼は翌年インヴァネス北郊外のカロデン・ムアで最後の戦いに敗れ、ハイランドの庶民の助けを借りて逃れ、フランスに亡命します。このハノーヴァー王朝期の騒乱はイギリス連合王国では裏の歴史ですが、スコットランド人には滅び行くスチュアート王家末裔の悲しい物語のようです。

 フォート・ウィリアムから北北東に伸びるグレイト・グレン沿いにはA82街道とカレドニアン運河がありますが、それぞれがロッホ・ローキーとネッシーで有名なロッホ・ネスの恩恵を受けています。20世紀に起きた怪獣騒ぎは、どうやら観光振興作戦だったようですが、それ以前からネス湖畔の古城アルカート城は観光名所でした。ここには中世以来要塞があり、13世紀から16世紀にかけて城としての建築が進み、クランの公爵城となったようですが、17世紀末のジャコバイトとの抗争に際して破壊されたようです。ここも廃墟ですが、キルカーン廃城を愛でたワーズワス兄妹がここに来ることはありませんでした。コールリッジがネス湖やアルカート城をどのように見たか関心をそそられますが、ノートブックや妻宛て手紙に歴史に関連した感慨等の記録はないようです。彼はもっぱら自然の光景に目を向け、その感想を記していたようです。



















フォート・ウィリアム郊外コーパックのカレドニアン運河からベン・ネヴィスを臨む。



















フォート・ウィリアムから西に10マイル余り行ったグレンフィナンにある、ジャコバイトの反乱を記念したモニュメント。スコットランドの反乱の心配がなくなった1815年に建造。



















Loch Ness:ネス湖はフォート・オーガスタスからインヴァネス方面に北東方向35キロの細長い淡水湖。



















Urquhart Castle:アルカート城跡はネス湖北西岸インヴァネス寄りの同名の湾の所にある。



















アルカート城敷地内。
http://www.historic-scotland.gov.uk/propertyresults/propertyoverview.htm?PropID=PL_297



















アルカート城北側からの遠景。




投稿日時: 2015-4-7 8:00:00
 毎年恒例の関東学院大学国際文化学部英語文化学科主催のインターナショナル・シアターカンパニー・ロンドン(ITCL)による第42回日本公演が下記のとおり決定しましたので、お知らせいたします。

                  記

作品名:『ヴェニスの商人』(ウィリアム・シェイクピア作)

日時:2015年5月15日(金)18:00開演(17:30開場)

場所:横浜市 金沢公会堂(横浜市金沢区泥亀2丁目9番1号)
アクセス:京浜急行「金沢文庫駅」または「金沢八景駅」下車徒歩12分

主催:関東学院大学 国際文化学部 英語文化学科
入場無料・先着順(電話にてお申込みください)
お申込み・お問合せ 関東学院大学 学部庶務課(金沢文庫キャンパス) 
045-786-7179 【平日9:00から16:00】


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           『ヴェニスの商人』
































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